母の日と胡蝶蘭|最愛の母へ!

1、母の日の発祥|母の日はアメリカから始まった!

この話を知っている人は、結構多いです。

アメリカの南北戦争の頃、

敵味方の区別なく負傷兵の面倒をみた、

アン・ジャービスという女性がいました。

母の死後2年経った1907年5月12日、

その娘アンナ・ジャービスが教会で、白いカーネーションで、

お母さんの追悼を行いました。

この日が、アメリカや日本で、母の日の起源とされています。

今年の母の日は奇しくも、5月12日です。

1914年になり、5月第二日曜日が、アメリカの「母の日」となりました。

日本では、戦後昭和24年あたりから、「母の日」が5月第二日曜日として定着して来ました。

今や「母の日」は、国民的行事の一つになっています。

母の日の由来と意味合い

2、母の愛|その偉大なるもの

僕は、生まれる前に母の胎内にいました。

どこかに記憶があります。

母の鼓動がしっかり聞こえていました。

そして新しい空気が吸いたくて、

おぎゃーと、この世に生まれて来たんです。

生まれてからも、母にへばりついていました。

御幼少の頃、よく手を引かれて道を歩いたものです。

道端のお花。

シロツメクサ、露草、たんぽぽ、つくしんぼ、スギナ….

三色すみれ、さくら、チューリップ…..

すべての花の名前は、母に教わったものです。

道を歩きながら、よく歌を歌ってくれました。

夕焼け小焼けの赤とんぼ

追われてきたのはいつの日か…..♪

童謡や文部省唱歌は、大体歌えるんですよ。

母の存在、影響って無限大ですね。

昔はとても大きく見えた母。

今見ると、とても小さい。

背中も、こころなしか曲がっている。

母には心配かけまいと頑張って来たのだけれど、

未だに心配かけちゃっている。

でも今でも、母のためと思って、

それを励みに頑張っています。

いづれ母さん、楽にしてあげるからね。

僕は男だから、ピンとは来ていない。

女の人なら、子どもを産むとき、

とても痛い思いをする。

お母さんも、こういう思いをしたんだね。

その時、きっと強烈にお母さんを思い出し、

母をいとおしく思うことでしょう。

お母さんは、いつまでも僕たちにとって特別すぎる存在です。

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3、母の日に胡蝶蘭|私はあなたを愛します!

僕はお母さんに、もう55回、

母の日の贈り物をしています。

歳がバレちゃいますね。

もう50回も母の日に贈り物したいけど、

そう簡単には、行きません。

母はもう87歳ですから。

50年後は、僕もとうに100歳は超えている。

でも50回、プレゼントを贈ることは可能です。

毎週でも、毎日でも贈ればいいんです。

年老いたお母さんであれば、まず会うこと一緒にいることが、

プレゼントではないでしょうか。

いつも一緒にいてあげて下さいね。

自分は、毎週母の買い物支援をしています。

ですから年間52回、僕からプレゼントしています。

1000回でも2000回でも、プレゼントしてあげたいです。

母の日は格別ですから、胡蝶蘭を贈りましょう。

胡蝶蘭の花言葉は「幸福を運んでくる!」。

蝶々のようにひらひらと、

母の日に幸福が舞い込んでくる。

贈られるほうも、贈る方も幸せになる、

母の日の胡蝶蘭。

とくにピンク色の胡蝶蘭の花言葉は、

「私はあなたを愛します!」。

これ以上美しい言葉はないでしょう。

ですから、母の日の胡蝶蘭はピンクで決まりですね。

お母さん、いつまでも幸せに!